志木市本町2丁目の原昭二さん(朝日屋原薬局代表)らによるフロンティア志木主催の「フォーラム『先駆けを往く志木』歴史を学ぶ第2回」が10月21日、国の登録文化財である同薬局の特設会場で開催された。
集まった「まち案内人の会」メンバーなど十数人を前に、原さんが招聘した講師・尾形則敏氏(志木市生涯学習課)は、市内に14か所ある遺跡分布などについて解説。特に、平成6年3月~10月に行われた田子山遺跡第31地点という本町2丁目の敷島神社社務所の東側の遺跡(現在はマンション)の発掘調査で出土した、縄文時代や弥生時代の遺構や土器がスライドで示された。
弥生時代の住居跡から出土した炭化した米の写真が映し出されると=写真=、会場から「おおー」と声が上がっていた。弥生時代をはじめ考古学に明るい尾形氏によると、「未発表の写真類を今回スライドにした」と話していた。
当時の新聞記事でも取り上げられたその遺跡(ローム採掘遺構)の1,000立方メートル超の粘土質の赤土が田子山富士塚築造で運ばれた歴史も紹介。裏山の土と合わせ、築造に使用した土の量や、現在の田子山富士塚の体積も計算され、どうやって運ばれたのかと参加者は思いをめぐらせていた。
この日、会場敷地内にある洋館も公開され、昭和54(1979)に日本電気が初めて発売したパソコンNEC PC-8001(当時の値段で16万8千円という)が展示されていた。
取材/ニュータイムス岩下“ジモアイ”隆