明治5年(1872)に築造された志木市本町2丁目の田子山富士塚(県指定文化財)の山開きが7月1日、

同地で行われ賑わいを見せていた。主催した田子山富士保存会(清水良介会長)が県・市からの補助、市内

外521人より約1,800万円に上る寄付によって、3年にわたり進めてきた修復工事が完了。その修築記念

碑の序幕式も行われた=写真=。

香川志木市長(右から3人目)も一緒に修復記念碑を序幕
香川志木市長(右から3人目)も一緒に修復記念碑を序幕

 

清水会長は、「昨年7月の山開き以来、約7千人が入山。整備

された田子山富士に大勢の方に登ってもらいたい。志木市と協

定を結んだ富士吉田市と一緒になって盛り上げたい。志木音頭

に『西と東に富士の山」という歌詞があり、まさに西は本物の

富士山が見え、東にはこの田子山富士がある。志木市では2つ

の富士を見ることができる」と話していた。

 

「修築おめでとう」とくす玉も割られた
「修築おめでとう」とくす玉も割られた
新カッパ像と制作者の内田さん(左から3人目)
新カッパ像と制作者の内田さん(左から3人目)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

修復の完了記念として新イロハガッパ像のお披露目も行われた。このカッパ像は、同市本町在住の内田榮信

さん(75)の作品で、市内で24体目の設置となった。内田さんによると「富士山の麓にある神奈川県の

真鶴でとれる小松石を使った。田子山富士山頂を向いているのは、何人が登頂したかなとカッパが数えている。

子どもがカッパの頭の皿に触ったり、落書きをするのも大歓迎。いつか登ってみたいと登拝者の安全を見守って

いるカッパが、知らぬ間に登ったのだろうか?山道や頂きにカッパの足跡があったら楽しい」という。

つぶらな瞳で富士塚を眺めるこの新カッパ像。市商工会ではネーミングを公募して決める計画だ。

 

取材/ニュータイムス岩下“ジモアイ”隆