ヒストリータイムス

2018年06月22日

日本の戸籍制度はスゴイ

 

本籍地の役所へ行き申請をすると「戸籍」をだしてもらえます。

数百円の費用が掛かりますが、これを辿たどっていくと会ったことのない

自分のご先祖の記録が出てきます。

 

私の場合は、5代前までさかのぼれました。

祖父の祖父の父・伝兵衛さんは、文政11年(1828)5月12日生まれ。

今の「夫婦+その子ども」の核家族のみの記載ではなく、

戦前までは「家父長制」だったので、戸主を筆頭にして子や孫、

隠居した祖父母まで一緒に記載されています。

伝兵衛さんの孫・恵次郎さんは9人兄妹だとか、

3ページにわたりメンバーがぞろぞろと載った「大家族」といった戸籍になっていて面白いです。

1歳になる前に死亡してしまったご先祖もいたり、

乳児死亡率が高かったこともリアルに伝わってきます。

 

8江戸時代の庶民?伝兵衛さんもこんな感じだったかも・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代の庶民の写真。伝兵衛さんもこんな感じだったかも?

2018年06月06日

「永遠の0」印象的な場面

「永遠の0」という映画みられた方いらっしゃいますか?

印象に残るシーン。

ゼロ戦パイロットであり、特攻を志願して死んだ自分の爺ちゃん(岡田准一)について調べている孫。何人かの元同僚に、爺さんは「臆病もんだった」と教えられる。卑怯者呼ばわりされ蔑まれる存在だったとまで言われ、孫は落ち込む。

その後、末期ガンで入院している同僚だった戦友(橋爪功)のところに話を聞きに来た。

実は爺さんは凄腕のパイロットであり、非常に勇敢で尊敬できる人だったと教えられる。

話し終えたこの戦友が「宣告された死期を過ぎている理由がこれだった」とつぶやくシーン。

 

尊敬する戦友について、誤った人物像を子孫に認識されたままではと思い「伝えなければ死ねない」ということだと思うんです。

 

下の世代に伝えなければ無くなっていく記憶。

下の世代もなかなか興味を持てないから聴かない家族の史実。

わたしの娘が生まれる数か月前に父親(娘の祖父)が死に、この2人が会うことができなかったことが、家族史作りを試みた理由の一つでした。

7本の表紙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太田出版

2018年05月30日

先祖が過ごした地に行ってみました

山梨県の片田舎に、現在私が名乗る「姓」を冠した村があったそうです。

そこが今どうなっているのか調べてみたところ、「字」としてその地に名が残っていました。小さな小さな交差点にその痕跡が残っているのを発見。

江戸時代の後期に、私の高祖父はここで農業を営んでいたといいます。

酒が好きで、家には常に4斗樽が置かれ、訪問者があれば誰彼を問わず酒をふるまい、ともに飲んだそうです。

 

 

 

 

6交差点

 

2018年05月23日

先祖の中に自分の種?

 

父が残した「自分史」には、私の曾祖父=父の母方祖父・又次郎という人物が登場します。

この人に私は〝自分の種〟を感じました。

彼は結婚を相手方の親から反対され、結局、駆け落ちしたそうです。

結婚反対の理由はどうやら彼が「のんびり屋」だったから。

7人の子ども(すべて女の子)を育てていながら川釣りが趣味で、農作業を抜け出して釣りをしたりしていたそうです。

危機感を強く感じることが無く、「なんとかなるさ」と考える、そんな人物だったようなのです。

また、その又次郎の祖父・平右衛門という人物は、現在も私が名乗る「姓」を冠した「村」を代々あずかり、その長として人望が厚かったそうです。子ども時代には「クラスのまとめ役」を買って出たりした私の中に、この平右衛門さんの種のカケラも入ったのかもしれません。

先祖の中に自分と共通の性質や気質を持った人、自分の種を見つけた気がしました。

 

2018年05月16日

臍の緒はどこまで続く?

お腹のオヘソは胎児のときにお母さんとつながって、生まれるまでの栄養分をもらっていた名残り。母親という一個体と完全に一体となって、およそ十月十日の期間、別の個体となる準備をしています。

お母さんのオヘソもおばあちゃんとつながっていたはず。

おばあちゃんのオヘソも、そのまたおばあちゃんのオヘソも・・・・・

 

はるか昔からつながってきた臍の緒が、今こうして自分まで辿り着いている。

その行程は決して平穏なものばかりではないはず。

飢饉、災害、戦争などなど幾多の危機を乗り越えてきたご先祖がいてこそ今の自分がいるんだなあ。

 

 

4本目_へそのお

 

 

 

 

 

 

2018年05月09日

ピンとこないご先祖への想い ご先祖がいなければ自分はいない

 

 

 

 

今ここに自分が存在しているのは、父と母が出会ったからであり、父と母にもそれぞれの父と母の出会いがあり、それ以前も又しかり。

 

顔や名前、人物までを知っているのは、せいぜい祖父母まで。

それでも間違いなく曾祖父、高祖父・・・・数えきれないほどの「父と母」たちがいる。

10代さかのぼると「父と母」の人数は2,046人!

15代までさかのぼると、65,536人

これだけの人々の血をひく存在が、平凡な毎日を過ごしている自分?

改めて自分の存在の奇跡に感謝!ご先祖たちに感謝。

10代・15代さかのぼった先祖の数
2018年05月02日

今こうして自分がいて、子どもがいること

2家族史表紙の写真

父が残した「自分史」には、私から見て父方・高祖父(祖父の祖父)までの記述がありました。当然、会ったことも見たこともありません。

父から直接聞いたことは無いですが、高祖父は、村のまとめ役で酒豪だったとのことです。70歳まで生き、当時としては長寿で、身体は強かったのでしょう。

 

21世紀の今、こうして平穏な世の中にいるとピンときませんが、ご先祖様が「命をつないできた」ことで自分がいて、子どもとともに暮らせていることに感謝ですね。

2018年05月01日

家族史をつくりました

今年5歳になった娘と仏壇に手を合わせるたびに、孫と逢えなかった父のことを想います。6年前に亡くなった祖父に逢えない娘、ふと、父が生前に書き残した「自分史」のことを思い出しました。

生前に書き残した「自分史」
生前に書き残した「自分史」

 

使い慣れないワープロを両手の人差し指2本で、ゆっくりキーをたたいている姿を思い出します。

 

その「自分史」を再編集し古いアルバムの写真を選定し、戸籍謄本を取り寄せるなど、調べうる範囲の家系図を描きレイアウトして『家系図付き家族史』を作成しました。A4判の16ページ、読むアルバムといった感じです。