ニュータイムスの歴史

埼玉タイムス社 略年表

昭和22年
3月16日

(創刊)代表岩下英隆、編集長神山博光、販売部長吉田増次、広告部長浪川七五郎、紙代1部1円、毎月1日・16日発行。タブロイド版。

8月1日

(10号)月3回発行、1日、10日、20日。

昭和23年
3月7日

毎日曜日発行、週間化。

5月3日
タイムスの歴史:画像2

創立1周年。

憲法実施1周年を記念し「20の扉」イベントを主催。

岩下代表も出演。

6月6日

紙不足、印刷費高騰により1カ月15円に。

8月22日

本社主催新河岸川花火大会、創始以来毎年恒例に。

26年度より志木商工会および志木町宗岡の共催とする。

昭和26年
3月4日

3月より購読料1カ月25円とする。

3月15日

創刊5周年。

昭和28年
8月7日

志木商店街を中心に第1回七夕祭りコンクールに後援。

本紙代表も審査員に、埼玉タイムス賞出す。

昭和29年
1月1日

購読料50円となる。

朝霞劇場、幸乃座、福岡劇場の上映映画紹介。

昭37.6.24まで毎号掲載。

6月27日

増田一人氏(当時朝霞町教育長)本紙に寄稿始める。

昭和31年
1月1日

タブロイドからブランケット版に。

池田要氏、連載「武蔵野神話」に挿絵。

3月7日

創刊10周年記念祝賀会(於伊勢周)大沢知事臨席し激励。

12月2日

本紙指定工場操業の都合で年内タブロイド版で発行。

昭和32年
1月1日

ブランケット版に戻る。

昭和34年
8月18日

本誌ついに500号となる。

10月4日
タイムスの歴史:画像2

週間読売、週間文春、NHK第1放送等でとり上げられる。

全国各地から激励が寄せられ反響大。

昭和36年
1月

英隆代表埼玉新聞協会の会長に就任。

4月2日

創刊15周年。

昭和38年
8月18日

本社社屋改築、祝賀会盛大に。

昭和38年
8月18日

本社社屋改築、祝賀会盛大に。

昭和40年
10月3日

購読料1カ月100円に改定。

昭和42年
3月24日

創刊20周年祝賀会。栗原知事をはじめ約150人出席。

昭和45年
3月22日

第5日曜発行中止、月4回に。

昭和47年
4月7日

創刊25周年祝賀会、於志木公民館。

昭和49年
1月1日

購読料改定、月200円に。

1月13日

用紙事情の悪化で4回分タブロイドで、2.24ブランケット版に戻る。

昭和53年
1月18日

岩下英隆本紙創設者急逝、享年69歳。

長男英和二代目代表就任。

昭和55年
1月1日

購読料月300円に(49年1月以来の値上げ)

昭和56年
1月25日

郵送料金の大幅値上げ(第3種1回15円から25円に)

それにともない郵送による読者に負担のお願い。

昭和62年
3月15日

創刊40周年、各界よりの祝詞寄稿を掲載。

9月25日

萩元家義氏死去、8.16付の詩が最後となる。

10月25日

細田千虎氏の詩、掲載はじまる。

平成2年
10月7日

池田要氏の「切り絵で描く」掲載はじまる。

平成6年
3月13日

購読料改定、月500円に(55年1月以来14年ぶりの値上)

平成7年
2月20日

本紙代表岩下英和緊急入院につき休刊。

4月24日

英和代表志木市立救急市民病院にて死去、享年64歳。

6月18日

第2317号発行し、休眠

平成16年
12月

月刊誌「ニュータイムス」として3代目・岩下隆により復活。

教育相談コーナー(全21回)、埼玉の名将連載スタート(全14回)。池田要氏のきりえ、細田千虎氏の「青春の全てが戦争だった詩人」連載スタート。

平成17年
4月

元気を求める商店街特集スタート(全3回)。

5月

わがまちの医療スタート。

7月

パリの商店街連載スタート(全20回)。

8月

細田喜八郎氏の八方にらみ連載スタート(全22回)。

平成18年
1月

がんばる商店街 Watching 連載スタート(全16回)。

4月

医療ナビ@埼玉の栁下譲次氏による医療福祉ご近所探検隊連載スタート。

平成19年
1月

「彩の国で遊ぼう!」連載スタート。

平成20年
1月

隔月刊化

平成21年
4月16日

志木市本町3丁目2に本社竣工。移転登記とともに増資。

4月27日

創刊5周年記念祝賀会。本誌の執筆陣・制作スタッフのほか、国会議員、県・市議会議員、地元の経済人など約140人が出席し盛況。

平成26年
12月

『ニュータイムス』雑誌版を43号からタブロイド判にリニューアルし、現在に至る。